つゆり映え

- 妖怪の生態観察所 -
文披31題_Day3「鏡」


 ──まるで鏡合わせのようではないか。
 紫苑はふと、かつての怪画(なかま)の言葉を思い出した。
 どうやら自分は似ているらしい。(あるじ)が焦がれてやまなかった男に。
 似ていて当然である。紫苑は彼の姿を写して生み出されたのだから。
 紫苑は、自身の源流となった男に会ったことはない。会えていたならば、そもそも紫苑は生み出されていなかっただろう。会えなくなったがゆえに(・・・・・・・・・・・)、紫苑は(あるじ)の支えとして生まれたのだ。
 けれど(あるじ)は、紫苑を描いてからより不安定になったと聞いている。
 喪った心の半分を埋めるように。二度と叶わぬ夢をみるように。(あるじ)は怪画である紫苑にすがりついて、何度も抱擁をねだった。
 紫苑が優しく抱きしめるたび、求められる姿を演じるたび、彼は泣いていた。淡墨の瞳がとけてしまうのではないかと不安に思ってしまうほど。
(主は……俺を描いて幸せだったのか……?)
 窓に触れる。ガラスは夜を透かしているのに、紫苑の輪郭だけは忠実に映し出している。この世に生まれた意味を果たせず、今ものうのうと息をしている紫苑をなじるように。
 ガラスの中の己を指でなぞる。自身の容貌を見るたび込み上げるのは、無力感だけだ。
 (あるじ)の望みを本当の意味で叶えてやれなかった。姿だけでは、彼の傷を癒せなかった。恋仲の男なら、(あるじ)の頬を簡単に緩ませられたのだろうか。
 ガラスに映る己が、不格好に口端を上げた。
「俺が笑ってどうする……」
 ため息をついた時、肩口にかすかなぬくもりが降り立った。
「いい笑顔だねぇ」 
「うわっ! びっくりした! 急に背後に立つなよ……」
「カーテン閉めたかったんだから仕方ないだろ。紫苑こそひとりで笑ってどうしたのさ。めずらしい」
 雪希は紫苑の両肩を軽く叩くと、腕を伸ばしてカーテンを引いた。
「……俺、普段からそんなに笑ってない?」
「んー。あんまり?」
 窓がカーテンに覆われ、もうひとりの紫苑が隠れる。自身が今しがたまでどのような顔をしていたのか、すでに思い出せなくなっていた。
「まぁ、だからかな。紫苑を笑わせられた時はすっごい嬉しいんだよね。つられて僕まで笑っちゃう」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんだと思うけど」
 紫苑は小首を傾げた。人間に生み出された存在でありながら、人間というものは未だによく分からない。何故、怪画である己が笑えば、雪希も笑うことになるのだろう。
 紫苑が腑に落ちていないであろうことを察したのか、雪希は紫苑の両頬を手で包みながら続けた。
「人って鏡なんだよ。自分が笑うと笑い返してくれるし、悲しい顔をしてると悲しみが移ってしまう」
 固まった頬が、雪希の手でほぐされていく。強ばりが徐々にほどけ、ほのかに熱を持つ。雪希は満足げに唇をゆるめた。
「だから、君の前では笑顔でいるんだ。僕は紫苑の笑った顔が好きだから」
 雪華がほころぶように、男の眦が蕩けていく。
 あるはずのない鼓動がやわく、ちいさく跳ねた。
(その気持ちは……何となくわかる気がする……)
 ただ(あるじ)が笑ってくれたら、それだけで良かった。けれどそれを願えば願うほど、泣かせてしまうばかりだった。
 ──(あるじ)とまた言葉を交わせるなら、その時は。
 そんなことを今さら願っても、もう彼とは会えないのだけれど。
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