Afterword

イラスト「いとし、いとしと言ふ心」

【概要】
絵として描かれた藤仁と、それを描いた芦雪。芦雪は絵の藤仁に手を伸ばし、また絵の藤仁も芦雪の手に手を重ねているようにも見えるが、互いに触れ合うことは叶わず、ただ水鏡の波紋が広がるだけ。
その事実に、芦雪は何を思うのか。
【イラスト】
Galleryにて公開中

Web掲載用に描いたお茶濁しイラストです。百合の中では下手なりに気に入っているもの。
今回は以下目次で解説のような書き散らしをお届け。
※クリックするとその内容に飛べます。

タイトルについて

江戸時代の寄席芸人、都々逸の歌「戀(こい)という字を分析すれば 糸し糸しと言う心」から引っ張ってきました。
本家は「糸し、糸し」だけど今回はひらがな。「糸し」と「愛し」を掛けています。「糸し」は芦雪の心、「愛し」は藤仁の心なのかもしれない。
“戀”とは、からまって簡単にほどけない糸のように心が断ち切れず、どうしようもなく心惹かれ想ってしまうことを指すようで、“戀”はなんか……にっちもさっちもいかない藤芦だな……孤悲というより恋……恋というより戀……となり、タイトルが生まれました。

使用モチーフについて

タイトルが決まったところでイラストに着手。まずは電池0%のあいぱよとあぽぺんの充電からです。
充電している間、「Web版の表紙だし変えるタイミングが4章以降なんだから、結ばれそうで結ばれない絶妙なバランスのものを描きたい……無理だが……?? 深海さま助けて……」を100億回繰り返し、うんとこしょ、どっこいしょ、それでもかぶはぬけませんという脳内ナレーションに耳を傾けながら描きたい要素を抽出。

・芦雪:≒読者であるため、目線は画面側
・藤仁:過去から現在において一貫して芦雪への盲信と依存があるため、目線は芦雪
・水鏡:触れそうで触れられない、見えそうで見えない(映っているのは自分自身)という、いわば藤芦の精神的な関係性
・朝顔:絡みつき、縋ってしまう心

以上を踏まえて構成しました。結果、どうにかなってはないですがそれっぽくはなった……かも!な状態です。
「“藤仁と朝顔が描かれた絵”に芦雪が触れているけれど、藤仁は絵なので触れることができずただいたずらに水面が波紋を広げるだけの図」を表したかったのですが、画力問題でそんな感じに見えない。藤芦が手を合わせて波紋できてるな~あと朝顔あるな~みたいなイラストで着地しました。
ちなみに、朝顔は藤仁のモデルである鈴木其一の代表作「朝顔図屏風」の模写です。

以上、解説のような書き散らしでした。
ここまでご覧頂きありがとうございます!